チョット付き合ってください・・・。

今勤めている会社は、元々日本に本社があったのだが、
現在は東南アジアの某国に本社がある所謂部品メーカー。

従って、上のごく一部の人間以外は、日本人ではありません。
ある意味現地化ほぼ100%、国際企業と言う、海外進出する日系企業にとっては羨望の眼差しで見られる事も多いのです。

・・・ちゃんと教育が行き届いていれば
・・・ちゃんとしっかり日本人のことを理解してくれる人がいれば

この前、じじいのXXXXにもならない名ばかりの幹部会議が行われた時の事。

自分は、ここ最近新規開拓営業が主体となっているのですが、
一週間のうち2日外回りを入れると、メールが結構来ます。
加えて、うちのスタッフのほぼ99.5%が、日本語読めません。
(つうか、仮にも日系企業と名乗っている会社で、その数値と言うのがおかしいんだけど)

フォローアップのスピードがそれだけでも落ちるわけです。

で、営業部にもう一人日本語が出来る人間を補充してほしいと
お願いをしてみました。
何せ、一日出張を入れると、メール対応が滞ってしまうことが
殆どだし、電話に出ても「ショーショーオマチクダサイ」さえ
いえない奴もいます。

(それはさすがに困るので、後ろのホワイトボードに書いておきましたが)

因みに、本社CEOには既にそれと同じ内容をぼやき済みです。
彼もそれには納得してたようでしたが・・・。

例のごとく、日本語でお送りします。

GM(非日本人):
通訳(人事部所属)がいるじゃないか。

わし:彼女は営業とか細かいところまで分かりません。

GM:こーじょーちょーは?

わし:それはどうなんでしょうか
(基本的に僕らの仕事はこまい仕事が多いし、彼は他の業務が忙しいので)

GM:
そういえば入社当時、お前日本語教室やるって言ってたんじゃないか?
それに営業集めてやればいいじゃないか。

(まあ、それはそうだけど・・・日本語はそう一朝一夕で覚えられるものじゃない。どっかの誰か、つうかGMはうちの会社に15年いるのに、未だにまともな日本語はなせないじゃないか・・。)

わし:実際は営業行かないといけないし、授業の準備もしなくちゃいけないので、どちらも中途半端になってしまいますよ。それでもいいんですか?

GM
お前2年前もそんなこと言ってなかったか?
いい加減準備ぐらい出来るだろう。

わし
だって、どっちもおろそかにしたくないんです。これでも僕は
プロの日本語教師だったんですよ。手抜けるわけないでしょうが。
おまけに、営業の方もしないといけないのに・・。

(今のレベルだとあいうえおからやらなくちゃいけないから。。。
営業だって、訳わかんないMr.スポックみたいのがトップに立ってるから、それでやつれたと言うのに・・・つくづく)

その代わりと言っては何ですが、数人資格を持っている友達がいますので、紹介します。彼女のサポートと言う形なら僕も出来ます。

GM
・・・・まあ、それをやると金がかかるから。
悪いけど、それは却下。増員も含めて。
(てめえ、それが本音かよ。つうかうちほど金使わない日系企業ねえよ。)

一事が万事そんな感じです。

基本的に、自分の立場は新しい客先を探すこと。
まして、そのトップが市場のニーズを捉え切れていないで
価格設定をする今の状況からするとそれは極めて難しい状況。

それと、日本語教師をなめんじゃねえ。
そりゃ、一般社会では
・日本語はなせれば簡単。極論チョット勉強したことがある外国人でも出来る
・職歴にはならない

・・・と、誤解してる人が殆どですが、
(自分もそれで涙を飲んだことが多い)
誰でも出来るわけじゃないし、物は考えようで、一般企業に移ってからも、その時の経験が思わぬところでいかせます。

例えば客先でのプレゼンテーションとか、所謂話し方が今でも役に立っています。

それと授業準備にとてつもなく時間がかかるし、カリキュラムを考えないといけないので、皆が思う以上に大変。

それに外国人に日本語教えるわけだから、言語・文化的背景等
極めて多岐にわたる知識が必要です。
(あ、それも一般企業で活かせる事か。)

だから、んなもん簡単に出来るだろと言われると無性に腹が経ちますね。

つうか「ふーん、やんぴんさん、元日本語教師?けっ」と鼻で笑われたら(実話)お客さんだろうが、何だろうが殺意とまでは行きませんが、憤りを覚えます。

さて、その日。
あまりに腹が立ったので、ジムへ行く前に10km走ってきました。
しかし、あまりの寒さに、足を少し痛めてしまいました。
最低気温1度でした。

養生してだいぶ元気になりましたが、無理しないように・・。
日本語教師時代の教え子が急に亡くなりました。

元々先天性の糖尿病を患っていて、体は弱かったんですけど。
心臓発作で急になくなったそうです。

まだ、27歳。折角いい彼氏も出来てこれからが幸せな人生が待っていたと言うのに。

木曜日に当時の教え子たちと通夜に行ってきました。
シンガポールの通夜は2日続きます。

彼女は安らかな顔をしていました。

その時にお兄さんとお会いしました。

「あなたがYangping先生ですね。写真でも拝見しました。生前妹が言っていました。あなたはいつでも一生懸命で元気でかわいい先生だったと。お辞めになった時、妹はさびしがってましたよ。」

かわいいかどうかはともかくとして、僕は教員時代決して教え方も上手とはいえなかった。ただひたすら一生懸命に学生を鼓舞していました。
こびるわけじゃなくて、なるべく小さなことでもいい、自信を持たせるように。

僕自身があまり出来のいい学生じゃなかったし、何度もつらいことがありましたから。

そんな中で、彼女がそう思ってくれたのは、何と言うか嬉しい反面、余計に
悲しくなりました。

その後で、彼氏がやって来て僕らに挨拶して行きました。気丈に振舞われていたので
余計言葉が出なくなりました。恐らくまだ受け入れることが出来ないのではと。

それから当時の学生たちと色々と話し、また皆で取った写真の裏に寄せ書きを書いて、お兄さんに託しました。

家に戻ってから、彼女の二度と開かれることの無いメールの中にメールを入れておきました。

今まで、有難う。また向こうでいつか会おう。それまで日本語を忘れないで。
最後は先生っぽくなってしまったけど。

残された家族、そして彼女のために祈るつもりです。

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