Lesson 972 板門店で北朝鮮の軍人と出会った・・・ (写真アップ)
2009年5月7日 旅行
5月1日
時計を見たら、7:45!
ツアーの出発は8:20!それまでにミョンドンのロッテホテルまで行かないといけない。
半分寝たまま出発する。
市場を駆け抜け適当に走り出す(道間違ってました)。
お、目の前にタクシー!
「ロッテホテルカッカジュセヨ!」
運転手さんにいきなり「イルボンサラム?」(あんた日本人か?)と言われるが
めんどいので、「チュンゴックサラム」(中国人)とごまかしておく。
しかし持ってるのは日本語の地図・・・・
突っ込まれそうになったら「おかんが日本人」とでもごまかそうと思う。
ホテルに着いてツアーオフィスへ行く。しかし・・・
出発は8:50.
腹減ったので、ホテルの横の屋台でサンドイッチ。
ここでも日本語が通じる。
・・・おいすごいよ、韓国人。
日本じゃ英語すら満足にいえない店員ばかりなのに。
8:50バスは出発。気がつけば、もう板門店へ向かう高速道路にいた。
横を見ると見張り小屋と有刺鉄線。
そこでガイドさん(この人も日本語ぺらぺら)が色々なことを教えて下さった。
因みに韓国にはスパイ専門の通報電話があるとか。
バスは現代グループの創立者鄭夢憲が私財投げ打って作った橋に到着。
検問を受ける。
写真はもちろん禁止。
いよいよここからはJSAだ。写真撮影もままならなくなる。
と、外に目をやると、のどかな田園風景が。
この辺りは国境に近いため、思い切った開発が出来ず、
手付かずの自然が残っていると言う。
バスはゆっくりと板門店に到着。
早速軍事境界線と会議場を見学。
会議場の一部は北朝鮮になっており、少し足を踏み入れてみた。
これで、訪問したことのある国と地域は、アメリカ・中国・台湾・香港・ベトナム・タイ・ラオス・マレーシア・シンガポール・インドネシア・韓国・北朝鮮となる。
会議場から外に出ると、向かい側に北朝鮮の軍人さんがいる。
微動だにしない。
聞けば、北朝鮮の兵役は10年義務。
そこに立ってる人はプロの軍人で10年以上勤務しているとか。
その後で、展望台へ。
北朝鮮のでかい国旗と、開城工業団地が見える。
途中「帰らざる橋」を通る。
(以下ウィキペディアの引用)
1953年の朝鮮戦争停戦後の捕虜交換がこの橋で行われた。捕虜たちがこの橋の上で南北いずれかの方向を選択すると二度と帰って来ることができないことから「帰らざる橋」と呼ばれるようになった。以来、南北分断の象徴となっている。
映画JSAの舞台にもなったところ。
さて、それが終わってからは、いよいよ昼ごはん。
昼ごはんはプルコギ定食だった。のども相当渇いたので、思わずHITEビールを注文。
・・・₩5000かかった。正直ぼりすぎだよな・・・。
さて、それからイムジン河の展望台、イムジン閣へ。
ここからも軍事境界線や、北朝鮮側が見える。
先入観無しに見ると本当に自然がきれいでのどかなところにしか見えない。
・・・こんなところで55年前にどんぱちやってたなんて信じられない。
ここで一部の人とはお別れで、第三トンネルに向かう。
北朝鮮は南を攻めるために幾つかトンネルを掘ったと言うが、
この第三トンネルもその一つ。フル装備で1時間以内に到達できると言う。
まずトロッコで下まで行き、そこから1km近く歩いていく。
因みに写真撮影禁止。
途中からはいわゆる軍事境界線に当たるため、立ち入り禁止となっていた。
狭くて暗いので、少し気分が悪くなったので、早々に脱出。
それからトラサン展望台とトラサン駅へ。
トラサン駅は、一応韓国側の最後の駅。去年の11月までは一日一本、開城までの貨物列車が出ていたらしいが、昨今の情勢の悪化で、今は運行停止中。
駅票には次は開城というのと、ソウル56km/平壌205kmと書いてあった。
その後お土産屋によって、ソウルへ直行。
全然夜寝てなかったので、ずっと爆睡してた。
さあ、次は野球観戦だ。
時計を見たら、7:45!
ツアーの出発は8:20!それまでにミョンドンのロッテホテルまで行かないといけない。
半分寝たまま出発する。
市場を駆け抜け適当に走り出す(道間違ってました)。
お、目の前にタクシー!
「ロッテホテルカッカジュセヨ!」
運転手さんにいきなり「イルボンサラム?」(あんた日本人か?)と言われるが
めんどいので、「チュンゴックサラム」(中国人)とごまかしておく。
しかし持ってるのは日本語の地図・・・・
突っ込まれそうになったら「おかんが日本人」とでもごまかそうと思う。
ホテルに着いてツアーオフィスへ行く。しかし・・・
出発は8:50.
腹減ったので、ホテルの横の屋台でサンドイッチ。
ここでも日本語が通じる。
・・・おいすごいよ、韓国人。
日本じゃ英語すら満足にいえない店員ばかりなのに。
8:50バスは出発。気がつけば、もう板門店へ向かう高速道路にいた。
横を見ると見張り小屋と有刺鉄線。
そこでガイドさん(この人も日本語ぺらぺら)が色々なことを教えて下さった。
因みに韓国にはスパイ専門の通報電話があるとか。
バスは現代グループの創立者鄭夢憲が私財投げ打って作った橋に到着。
検問を受ける。
写真はもちろん禁止。
いよいよここからはJSAだ。写真撮影もままならなくなる。
と、外に目をやると、のどかな田園風景が。
この辺りは国境に近いため、思い切った開発が出来ず、
手付かずの自然が残っていると言う。
バスはゆっくりと板門店に到着。
早速軍事境界線と会議場を見学。
会議場の一部は北朝鮮になっており、少し足を踏み入れてみた。
これで、訪問したことのある国と地域は、アメリカ・中国・台湾・香港・ベトナム・タイ・ラオス・マレーシア・シンガポール・インドネシア・韓国・北朝鮮となる。
会議場から外に出ると、向かい側に北朝鮮の軍人さんがいる。
微動だにしない。
聞けば、北朝鮮の兵役は10年義務。
そこに立ってる人はプロの軍人で10年以上勤務しているとか。
その後で、展望台へ。
北朝鮮のでかい国旗と、開城工業団地が見える。
途中「帰らざる橋」を通る。
(以下ウィキペディアの引用)
1953年の朝鮮戦争停戦後の捕虜交換がこの橋で行われた。捕虜たちがこの橋の上で南北いずれかの方向を選択すると二度と帰って来ることができないことから「帰らざる橋」と呼ばれるようになった。以来、南北分断の象徴となっている。
映画JSAの舞台にもなったところ。
さて、それが終わってからは、いよいよ昼ごはん。
昼ごはんはプルコギ定食だった。のども相当渇いたので、思わずHITEビールを注文。
・・・₩5000かかった。正直ぼりすぎだよな・・・。
さて、それからイムジン河の展望台、イムジン閣へ。
ここからも軍事境界線や、北朝鮮側が見える。
先入観無しに見ると本当に自然がきれいでのどかなところにしか見えない。
・・・こんなところで55年前にどんぱちやってたなんて信じられない。
ここで一部の人とはお別れで、第三トンネルに向かう。
北朝鮮は南を攻めるために幾つかトンネルを掘ったと言うが、
この第三トンネルもその一つ。フル装備で1時間以内に到達できると言う。
まずトロッコで下まで行き、そこから1km近く歩いていく。
因みに写真撮影禁止。
途中からはいわゆる軍事境界線に当たるため、立ち入り禁止となっていた。
狭くて暗いので、少し気分が悪くなったので、早々に脱出。
それからトラサン展望台とトラサン駅へ。
トラサン駅は、一応韓国側の最後の駅。去年の11月までは一日一本、開城までの貨物列車が出ていたらしいが、昨今の情勢の悪化で、今は運行停止中。
駅票には次は開城というのと、ソウル56km/平壌205kmと書いてあった。
その後お土産屋によって、ソウルへ直行。
全然夜寝てなかったので、ずっと爆睡してた。
さあ、次は野球観戦だ。
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