来月第2週の週末。常州でもそこそこ有名な歌手のコンサートがあります。
かつては(今も?)香港の四天王と言われた張学友(英語名 Jacky Cheung)と言う人のコンサートです。
張学良では有りませんよ、念のため。
(因みに他の3人は、アンディ・ラウ/レオン・ライ/アーロン・クオック)
かれこれうん年前、大学の授業でのことでした。
今テレビによく出てきている「はっぱ」こと、葉千栄先生の中国語会話だったと思います。
そこで一緒だった友人がその歌手の話をしていました。
「へー、そんなにすごいなら、いっぺん聞いてみたいなぁ。」
当時、中国語のポップスは超マイナーで、全くと言っていいほど聞くことは出来ませんでした。インターネットも今ほど発達してなかったし・・・。
そのCDやテープを買うためには、現地へ行くか、中華街まで行かないと手に入らない状況でした。
当時はあのユースケ・サンタマリアが司会をしていた
「アジアン・ビート」なる深夜番組でよく紹介されてたようなのですが、それぐらいだったのでは。
だから今みたいに、王力宏のCDが普通に売られてたり、
F4がオリコン初登場20位以内なんて想像出来ませんでした。
話は戻りまして、年度末に周囲の薦めもあり派遣試験を受験。
長期を志望してましたが、経験者が多かった上に
当時は上海が7倍、広州が4倍と鬼のような倍率。
もちろん、受かるはずもなく・・・orz
北京にある中国人民大学へ短期留学します。
その当時は今みたいに、筋の通らない理由で乗車拒否するタクシードライバーをハートマン軍曹のように怒鳴りつけたり、物を買うときも値下げ交渉できるほど中国語力はありませんでしたので、行動範囲も限られてました。
門限も夜9時だったし・・・。
(余談ですが、間違えて水餃子1斤(500g)注文して、
大量の水餃子を泣きながら食べたこともありましたよ)
つたない中国語で、「テープはどこに売っている?」と聞き、
買ったテープの中に、彼の歌が入ってました。
確かに歌も上手かったのですが、当時香港や台湾は作曲家の数が絶対的に不足しており、多くの日本の曲のカバーが入っていたので、
そういう意味では、入っていきやすかったです。
中国語の勉強のために擦り切れるまで聞いたことを覚えています。
その後、長期派遣試験に再度挑戦、何とかパスし(と言うよりさせて貰って)、広州の中山大学に留学します。
当時、大学と大通りをはさんだ向かい側は、今みたいに開発されておらず、夜店が並んで、色々なものが売られてました。
その中に海賊版だったのですが、ダビング済みのテープを売る夜店もあり、適当に買っていました。
(だから今のあの周辺の変わりようはびっくりしてますよ・・。
別の国に来たようだ・・・。)
その時には彼のテープを沢山買いました。
中でもサザンの「真夏の果実」のカバーである「毎天愛イ尓多一些」
(Meitian Aini duo yixie)は、カラオケで歌えるようになるまで
覚えました。
その後、所属してたクラスでの日本人留学生の出し物として、
皆で歌いました。
それから留学生活は彼の歌をなくしては語れない程になりました。
殆どの歌をカラオケで歌えるまでこっそり練習したことを覚えてます。
(後はRichie Renの「心太軟」・・・。)
その後大学を卒業し、日本語教師養成講座に通うまでのぷー期間
とうとう、コンサートツアーを日本でやることになりました。
チケットは高かったのですが、東京と横浜でやるとのこと。
同じ授業を受けていた友達と、大学時代の中国語指導教官と皆で行きました。
驚いたことに、張学友。きちんと日本語を勉強してきました。
MCは全部日本語。
(尤も、MCの内容は暗記していたようなのですが、その後日本語でオヤジギャグを言えるまで上達したそうです。)
もちろん周囲は中国人留学生が多く「中国語しゃべれ〜」と言う突っ込みもありましたが、彼は「ここ日本だから、今回は日本語はなさせてください」と。
彼のその態度には感動しました。
それから、彼の歌や、それ以外の歌手の歌も広く聴くようになり、
今に至ります。
今回は自分が住んでいるところでのコンサートなので、色々な意味で初心に帰るつもりで行くつもりですが、どなたか一緒に行きませんか?
ホテルは近所の4星級を安く斡旋しますよ。
特に某マイミクさん!
かつては(今も?)香港の四天王と言われた張学友(英語名 Jacky Cheung)と言う人のコンサートです。
張学良では有りませんよ、念のため。
(因みに他の3人は、アンディ・ラウ/レオン・ライ/アーロン・クオック)
かれこれうん年前、大学の授業でのことでした。
今テレビによく出てきている「はっぱ」こと、葉千栄先生の中国語会話だったと思います。
そこで一緒だった友人がその歌手の話をしていました。
「へー、そんなにすごいなら、いっぺん聞いてみたいなぁ。」
当時、中国語のポップスは超マイナーで、全くと言っていいほど聞くことは出来ませんでした。インターネットも今ほど発達してなかったし・・・。
そのCDやテープを買うためには、現地へ行くか、中華街まで行かないと手に入らない状況でした。
当時はあのユースケ・サンタマリアが司会をしていた
「アジアン・ビート」なる深夜番組でよく紹介されてたようなのですが、それぐらいだったのでは。
だから今みたいに、王力宏のCDが普通に売られてたり、
F4がオリコン初登場20位以内なんて想像出来ませんでした。
話は戻りまして、年度末に周囲の薦めもあり派遣試験を受験。
長期を志望してましたが、経験者が多かった上に
当時は上海が7倍、広州が4倍と鬼のような倍率。
もちろん、受かるはずもなく・・・orz
北京にある中国人民大学へ短期留学します。
その当時は今みたいに、筋の通らない理由で乗車拒否するタクシードライバーをハートマン軍曹のように怒鳴りつけたり、物を買うときも値下げ交渉できるほど中国語力はありませんでしたので、行動範囲も限られてました。
門限も夜9時だったし・・・。
(余談ですが、間違えて水餃子1斤(500g)注文して、
大量の水餃子を泣きながら食べたこともありましたよ)
つたない中国語で、「テープはどこに売っている?」と聞き、
買ったテープの中に、彼の歌が入ってました。
確かに歌も上手かったのですが、当時香港や台湾は作曲家の数が絶対的に不足しており、多くの日本の曲のカバーが入っていたので、
そういう意味では、入っていきやすかったです。
中国語の勉強のために擦り切れるまで聞いたことを覚えています。
その後、長期派遣試験に再度挑戦、何とかパスし(と言うよりさせて貰って)、広州の中山大学に留学します。
当時、大学と大通りをはさんだ向かい側は、今みたいに開発されておらず、夜店が並んで、色々なものが売られてました。
その中に海賊版だったのですが、ダビング済みのテープを売る夜店もあり、適当に買っていました。
(だから今のあの周辺の変わりようはびっくりしてますよ・・。
別の国に来たようだ・・・。)
その時には彼のテープを沢山買いました。
中でもサザンの「真夏の果実」のカバーである「毎天愛イ尓多一些」
(Meitian Aini duo yixie)は、カラオケで歌えるようになるまで
覚えました。
その後、所属してたクラスでの日本人留学生の出し物として、
皆で歌いました。
それから留学生活は彼の歌をなくしては語れない程になりました。
殆どの歌をカラオケで歌えるまでこっそり練習したことを覚えてます。
(後はRichie Renの「心太軟」・・・。)
その後大学を卒業し、日本語教師養成講座に通うまでのぷー期間
とうとう、コンサートツアーを日本でやることになりました。
チケットは高かったのですが、東京と横浜でやるとのこと。
同じ授業を受けていた友達と、大学時代の中国語指導教官と皆で行きました。
驚いたことに、張学友。きちんと日本語を勉強してきました。
MCは全部日本語。
(尤も、MCの内容は暗記していたようなのですが、その後日本語でオヤジギャグを言えるまで上達したそうです。)
もちろん周囲は中国人留学生が多く「中国語しゃべれ〜」と言う突っ込みもありましたが、彼は「ここ日本だから、今回は日本語はなさせてください」と。
彼のその態度には感動しました。
それから、彼の歌や、それ以外の歌手の歌も広く聴くようになり、
今に至ります。
今回は自分が住んでいるところでのコンサートなので、色々な意味で初心に帰るつもりで行くつもりですが、どなたか一緒に行きませんか?
ホテルは近所の4星級を安く斡旋しますよ。
特に某マイミクさん!
コメント
あのやさしそーな感じの方かしら?
そうですね。やっぱりそれだけでも生きることが楽しくなりますね。何でも聞いてくださいね。
>ボリコさん
多分その人だと思う。四天王の中でも一番性格がいいと評判がいいらしいし。