Lesson 333 日帰り旅行
2003年12月28日と言う訳で、行ってきました。マレーシアのジョホール州第2の都市バトパハへ。
へ?そこどこ?
シンガポールから国境を越えてジョホール・バル
(以下、JB。日本が初めてワールドカップに出場を決めた記念すべき町。)へ出て、そこからバスで2時間のところです。
古くは詩人金子光晴かの地に滞在し、著書『マレー蘭印紀行』で、以下のように記しています。
バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街ずじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊カキ・ルマのある家々でつゞいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけてゆき、ひりつく緑や、粗暴な精力が街をとりかこんで、うち負かされることなく森々と繁っている。
また、立松和平も滞在したことがあるところだとか。
朝、6時半におきて、荷物をまとめて国境までタクシーで行く。
ついたのは7時半。しかし、もう人がいっぱい。
結局マレーシア入国、JBのバスターミナルに着いたのが8時半過ぎだった。
で、バスのチケットを探すと、ラッキー。30分おきに出ているらしい。
早速10リンギットのチケットを入手。(320円)
バスが発車までの間に、ダンキンドーナツで朝飯を調達。
・・・甘い。甘すぎる。やばい。
ドーナツをバス乗り場でほうばっていると、運ちゃんが、「バトパハバトパハー」と叫びだしたので、急いで飛び乗った。
席は一番前。
バスは、国道から普段出張で使い慣れている南北高速に入る。
マレーシアの高速道路は、ジャングルを切り開いて作られたところが多い。従って、ボーっと窓を見ていると景色はいたって単調に見えるが、今回は朝出発と言うこともあってか、遠くに咲く名も知らぬ赤い花が見える。
そうしているうちに、バスは高速道路をおり、また一般国道にはいりAyer Hitam(陶器の町)を通る。
途中は道路工事の真っ最中。この辺りは開発真っ只中?のようだ。
11時、ようやくバトパハのバスターミナルに到着。
トイレを済ましてから、ショッピングセンターをうろうろ。ものが本当に安い!家具も安い!
しかし、今回は金があまりないし、大量に買っても持ちきれないので、ショッピングは断念。
気を取り直して、旧日本人クラブとやらを探す。
(以下 『マレー蘭印紀行』を引用)
そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人クラブの三階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった。ゴム園にゆくにも、鉄山を訪ねるにも、ここは重要な足がかりである。山から出てきた人達はここに宿泊し、相談ごとに寄合ったり、撞球をしたりする。夜は、早便でここへつく日本の新聞をよむために事務所の洋燈ランプのしたにあつまる街の人たちもあった。
ところが、誰に聞いても、地図を見ても見つからない。しょうがないので、あきらめ、海沿いにある古井戸へタクシーをチャーターしていくことにする。
その前に、チキンライスを久しぶりに食べる。
う、うまい。そして安い。(日本円で100円程度)
そして、古井戸へ。本当は帰りはバスで戻る予定だったが、タクシーが走るにつれ、人通りも少ないし、タクシーが捕まらなさそうなので、往復をお願いする。
往復で30リンギット。(960円ぐらい)
で、ついたところは、まあ、確かに海は見えるんだが、岩場で、横にはセメント工場(恐らく廃工場)が有ると言う、お世辞にも彼女を(いないが)連れて来られるような場所ではない。
古井戸も、水がかれている・・。
まあ、リラックス目的で来たからいいかと。海を見つめると・・・。
大風が吹いてきた、すわ?雨かと思ったが、雨雲は別の方向に行ってくれたようだ。普段の日ごろの行いが活かされてほっとするのもつかの間、
気がつけば夕べ3時間しか寝ていない。目がちかちかするし、頭も重い。
・・と、タクシーがやってきたので、バスターミナルへ戻り、帰りのチケットをゲット。
帰りは7リンギットで買えた。安・・・。
急いでバスに飛び乗る。赤ちゃん連れの親子や、マレー系のカポーがいる。カポーはこの際どうでもいい。しかし、赤ちゃんがうるさい。こっちは寝たいのに・・・。
しかし、気がついたらバスはJBに着いてた。
久々の爆睡。
急いでシンガポール行きの国際バスに乗り換え、国境を越えようとするが・・・。
これが今回の旅の最大の難関だった。
マレーシアの国境越えに1時間。
バスの待ち時間も含めたコーズウェーの移動に45分。
シンガポールの国境越えに45分。
とても疲れた。
その後もバスを乗り継ぎうちに着いたのが夜7時ごろ。
久しぶりに楽しい旅行が出来た。
喧騒・しがらみ・上司のSMSから離れられた。
明日から現場の仕事が忙しくなるぞ。頑張ろう。
へ?そこどこ?
シンガポールから国境を越えてジョホール・バル
(以下、JB。日本が初めてワールドカップに出場を決めた記念すべき町。)へ出て、そこからバスで2時間のところです。
古くは詩人金子光晴かの地に滞在し、著書『マレー蘭印紀行』で、以下のように記しています。
バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街ずじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊カキ・ルマのある家々でつゞいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけてゆき、ひりつく緑や、粗暴な精力が街をとりかこんで、うち負かされることなく森々と繁っている。
また、立松和平も滞在したことがあるところだとか。
朝、6時半におきて、荷物をまとめて国境までタクシーで行く。
ついたのは7時半。しかし、もう人がいっぱい。
結局マレーシア入国、JBのバスターミナルに着いたのが8時半過ぎだった。
で、バスのチケットを探すと、ラッキー。30分おきに出ているらしい。
早速10リンギットのチケットを入手。(320円)
バスが発車までの間に、ダンキンドーナツで朝飯を調達。
・・・甘い。甘すぎる。やばい。
ドーナツをバス乗り場でほうばっていると、運ちゃんが、「バトパハバトパハー」と叫びだしたので、急いで飛び乗った。
席は一番前。
バスは、国道から普段出張で使い慣れている南北高速に入る。
マレーシアの高速道路は、ジャングルを切り開いて作られたところが多い。従って、ボーっと窓を見ていると景色はいたって単調に見えるが、今回は朝出発と言うこともあってか、遠くに咲く名も知らぬ赤い花が見える。
そうしているうちに、バスは高速道路をおり、また一般国道にはいりAyer Hitam(陶器の町)を通る。
途中は道路工事の真っ最中。この辺りは開発真っ只中?のようだ。
11時、ようやくバトパハのバスターミナルに到着。
トイレを済ましてから、ショッピングセンターをうろうろ。ものが本当に安い!家具も安い!
しかし、今回は金があまりないし、大量に買っても持ちきれないので、ショッピングは断念。
気を取り直して、旧日本人クラブとやらを探す。
(以下 『マレー蘭印紀行』を引用)
そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人クラブの三階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった。ゴム園にゆくにも、鉄山を訪ねるにも、ここは重要な足がかりである。山から出てきた人達はここに宿泊し、相談ごとに寄合ったり、撞球をしたりする。夜は、早便でここへつく日本の新聞をよむために事務所の洋燈ランプのしたにあつまる街の人たちもあった。
ところが、誰に聞いても、地図を見ても見つからない。しょうがないので、あきらめ、海沿いにある古井戸へタクシーをチャーターしていくことにする。
その前に、チキンライスを久しぶりに食べる。
う、うまい。そして安い。(日本円で100円程度)
そして、古井戸へ。本当は帰りはバスで戻る予定だったが、タクシーが走るにつれ、人通りも少ないし、タクシーが捕まらなさそうなので、往復をお願いする。
往復で30リンギット。(960円ぐらい)
で、ついたところは、まあ、確かに海は見えるんだが、岩場で、横にはセメント工場(恐らく廃工場)が有ると言う、お世辞にも彼女を(いないが)連れて来られるような場所ではない。
古井戸も、水がかれている・・。
まあ、リラックス目的で来たからいいかと。海を見つめると・・・。
大風が吹いてきた、すわ?雨かと思ったが、雨雲は別の方向に行ってくれたようだ。普段の日ごろの行いが活かされてほっとするのもつかの間、
気がつけば夕べ3時間しか寝ていない。目がちかちかするし、頭も重い。
・・と、タクシーがやってきたので、バスターミナルへ戻り、帰りのチケットをゲット。
帰りは7リンギットで買えた。安・・・。
急いでバスに飛び乗る。赤ちゃん連れの親子や、マレー系のカポーがいる。カポーはこの際どうでもいい。しかし、赤ちゃんがうるさい。こっちは寝たいのに・・・。
しかし、気がついたらバスはJBに着いてた。
久々の爆睡。
急いでシンガポール行きの国際バスに乗り換え、国境を越えようとするが・・・。
これが今回の旅の最大の難関だった。
マレーシアの国境越えに1時間。
バスの待ち時間も含めたコーズウェーの移動に45分。
シンガポールの国境越えに45分。
とても疲れた。
その後もバスを乗り継ぎうちに着いたのが夜7時ごろ。
久しぶりに楽しい旅行が出来た。
喧騒・しがらみ・上司のSMSから離れられた。
明日から現場の仕事が忙しくなるぞ。頑張ろう。
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