広州編その1中山大学はやっぱり中山大学
2001年8月10日三日目
朝6時半に起きる、ホテルのテレビは中国各地の衛星放送が入るので、広東省のチャンネルに変えて見る。エアロビクスの番組だが、いきなりビキニのお姉さん(しかも中国人)
が踊っている。(でもBGMはマカレナ・・・)
中国も変わったな・・と思ってずっと見ていると
今度はヒップホップのレッスンの番組・・・
こりゃ中国の変化はすごい。
朝食は、近くのパン屋でパンとヨーグルトを買ってかっ食らう。
飛行機は11時に出るが、ちょっと早めにチェックアウトをして、空港へ向かう。
チェックインをして、搭乗口に向かう時、いきなり空港職員が日本語で「タバコ・ナイカ?」ビックリ。つうか、どうせ話すならもっとまともな日本語で対応しろ。
日本語教師の血が騒ぐ。
飛行機は予想通り30分delayで離陸し、一時間後広州に到着。
広州はやっぱり暑かった。つうかむしろシンガポールよりくそ暑い。
とりあえずタクシーをつかまえて「去中山大学!」と言う。
「どの道を通るか?」って聞かれたので「江南大道!」って言うと「もっと近い道があるぞ」って言われたのでそれにすると・・・
驚いた!2年前に来た時には影も形もなかった高架道路が出来上がっている!
おまけに、ショップハウスが並んでいた沙面近辺もものの見事に変わっている。
中山大学の目の前では地下鉄の工事が行われている上に見たこともない建物が
建っている。
とりあえず、新留学生楼の前で止めてもらい、チェックイン。
予約を入れていたはずなのに、無い!部屋が無い!!
聞けば、中山大学の留学生楼を含めた宿泊施設を取り仕切る紫荊園ホテルのメルアドはあまり意味が無いらしい。
予約は電話でとの事。ざけんな。
小姐に説教したがそれもしょうがないので、この件に関しては苦情のメールを後日送ります。と脅しておいた。(あまり意味がなさそうだけど)
しょうがないので、旧寮へ行くと、喧嘩仲間だった郭小姐が相変わらず働いていた。
「あーしゃんべん久しぶり」
「・・おまえまだここにいたのかよ」
「そーよ、そーよ、どうしたの」
「実は新寮に予約入れてたんだけど空いてなくて、ここはどう?」
「ちょっと待ってね、130元だけどいい」
「安くしてくれない?」
そこで伝家の宝刀
「ごめん!規定で駄目!!」
(この言葉を何度聞いたことか・・・)
「いいよいいよ、2泊3日で宜しく」
つうわけで部屋が決まり、当時の仲間だったベトナム人の部屋を襲撃。
さっそくカップめんをごちになる。
彼曰く、「中山大学の留学生楼の責任者が変わってから、ひどくなった。関係ない中国人を泊めるようになったし、テレビのレンタル代・電気代
電話代(基本料金+使用分の電話代)何から何まで金を取る。そして、俺たち公費留学生は旧寮に戻らなくてはいけなくなったんだ。」
おいらは「中山大学はやっぱり中山大学だな」と一言。
その後で、飲み仲間(つうか酒癖相当悪い)だったタンザニア人の部屋へ行く。彼が来たばかりの頃は全然中国語話せなかったのに今は相当ぺらぺらである。
彼曰く当時の宴会部長のKが、シンガポールに職探しもかねて遊びに行っているそうだ。後にKとは再会するのだが、かなり大変そうだった。
その後で、広州で一番大きな本屋へ行き、本を大量に買おうとしたがクレジットカードが止まっていたので、日本語の教科書だけにする。
くそ!貧乏は辛い。
寮に帰ってから、大親友のお姉さんと久しぶりに会い食事する。相変わらず若くてきれいだったが、最近転職をしたらしく、色々と大変そうだった。部屋に戻って学生の写真を見せたり、当時の思い出話をする。
彼女をバス停まで送って、今度は別のベトナム人の部屋へ。
ぼちぼち思い出話を話して、部屋に戻る。
朝6時半に起きる、ホテルのテレビは中国各地の衛星放送が入るので、広東省のチャンネルに変えて見る。エアロビクスの番組だが、いきなりビキニのお姉さん(しかも中国人)
が踊っている。(でもBGMはマカレナ・・・)
中国も変わったな・・と思ってずっと見ていると
今度はヒップホップのレッスンの番組・・・
こりゃ中国の変化はすごい。
朝食は、近くのパン屋でパンとヨーグルトを買ってかっ食らう。
飛行機は11時に出るが、ちょっと早めにチェックアウトをして、空港へ向かう。
チェックインをして、搭乗口に向かう時、いきなり空港職員が日本語で「タバコ・ナイカ?」ビックリ。つうか、どうせ話すならもっとまともな日本語で対応しろ。
日本語教師の血が騒ぐ。
飛行機は予想通り30分delayで離陸し、一時間後広州に到着。
広州はやっぱり暑かった。つうかむしろシンガポールよりくそ暑い。
とりあえずタクシーをつかまえて「去中山大学!」と言う。
「どの道を通るか?」って聞かれたので「江南大道!」って言うと「もっと近い道があるぞ」って言われたのでそれにすると・・・
驚いた!2年前に来た時には影も形もなかった高架道路が出来上がっている!
おまけに、ショップハウスが並んでいた沙面近辺もものの見事に変わっている。
中山大学の目の前では地下鉄の工事が行われている上に見たこともない建物が
建っている。
とりあえず、新留学生楼の前で止めてもらい、チェックイン。
予約を入れていたはずなのに、無い!部屋が無い!!
聞けば、中山大学の留学生楼を含めた宿泊施設を取り仕切る紫荊園ホテルのメルアドはあまり意味が無いらしい。
予約は電話でとの事。ざけんな。
小姐に説教したがそれもしょうがないので、この件に関しては苦情のメールを後日送ります。と脅しておいた。(あまり意味がなさそうだけど)
しょうがないので、旧寮へ行くと、喧嘩仲間だった郭小姐が相変わらず働いていた。
「あーしゃんべん久しぶり」
「・・おまえまだここにいたのかよ」
「そーよ、そーよ、どうしたの」
「実は新寮に予約入れてたんだけど空いてなくて、ここはどう?」
「ちょっと待ってね、130元だけどいい」
「安くしてくれない?」
そこで伝家の宝刀
「ごめん!規定で駄目!!」
(この言葉を何度聞いたことか・・・)
「いいよいいよ、2泊3日で宜しく」
つうわけで部屋が決まり、当時の仲間だったベトナム人の部屋を襲撃。
さっそくカップめんをごちになる。
彼曰く、「中山大学の留学生楼の責任者が変わってから、ひどくなった。関係ない中国人を泊めるようになったし、テレビのレンタル代・電気代
電話代(基本料金+使用分の電話代)何から何まで金を取る。そして、俺たち公費留学生は旧寮に戻らなくてはいけなくなったんだ。」
おいらは「中山大学はやっぱり中山大学だな」と一言。
その後で、飲み仲間(つうか酒癖相当悪い)だったタンザニア人の部屋へ行く。彼が来たばかりの頃は全然中国語話せなかったのに今は相当ぺらぺらである。
彼曰く当時の宴会部長のKが、シンガポールに職探しもかねて遊びに行っているそうだ。後にKとは再会するのだが、かなり大変そうだった。
その後で、広州で一番大きな本屋へ行き、本を大量に買おうとしたがクレジットカードが止まっていたので、日本語の教科書だけにする。
くそ!貧乏は辛い。
寮に帰ってから、大親友のお姉さんと久しぶりに会い食事する。相変わらず若くてきれいだったが、最近転職をしたらしく、色々と大変そうだった。部屋に戻って学生の写真を見せたり、当時の思い出話をする。
彼女をバス停まで送って、今度は別のベトナム人の部屋へ。
ぼちぼち思い出話を話して、部屋に戻る。
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