思い出の曲?YMO 東風(トンプー)
2001年6月16日 この曲は、自分が大学時代に所属していた
放送部の校内放送の番組のテーマソングだった。
当時、放送部制作の番組といったら、音楽番組しかなかったのだ。
自分の大学は言わずと知れた松前人民記念大学
いや、倒壊大学で、留学生もやたらに多い。
じゃあ、「留学生にインタビューでもして友達も作ろう。で、他の人と差別化を図ろう。」と思い、海外研究会の先輩に相談して留学生を紹介していただいた。
その時にお会いした人の一人が、自分の人生を買えた恩人陳さんだった。
当時インタビューなんかした事の無くがちがちだった自分に陳さんを始め皆さん暖かく接してくださった。
そして、その放送がスタート。
今でも覚えているが番組名が「トワイライトエクスプレス」そう、大阪から札幌まで走っているあの
列車の名前である。
だるそうなタイトルコールからこの曲が流れて
そして、オープニングトーク。
最初はもうボロボロだったが、何とか乗り切った。
2回目の陳さんのインタビューの収録分。番組の進行などは進歩したが、やはりトークが間延びする。元々自分にはセンスが無かったが、それに気づくのに2年もかかった。
無論、色々な人に助けてもらった(?)が
かなりミスに関してはぼろくそにも言われた。(ある程度納得する面もあるが、今思うとちょっと腹が
たつ。同級生に影で「あいつは口だけだ」と言われた時、本気で腹が立ったが、先輩に親友がいたのでその手前我慢した。)
2年になってもこの番組は続いた。当時自分は
所属サークルの上部組織に一人で出向しており、尚且つ生活のためのバイト、自宅生、教職過程履修と忙しかったが、番組は作りつづけた。
そして大学の3年。今度は生放送で、そして
自分は裏方に回って製作した。今度は大成功した。
ただ一つ残念だったのが、DJをお願いした人が
「ディレクターは番組が終わるのが残念そうですが、自分はそうは思いません」と放送の時に言ったことがとても残念だった。
(本人は冗談だといったが、それにしても冗談で
片付けて欲しくなかった)
確かに自分は色々と迷惑をかけた。(勿論、他の人も結構アレだったこともあるが、全体的に見て
自分の方が悪いのだろう。)
でも、自宅から往復3時間かけて、授業もそれなりに頑張って、サークル活動も出来る限り続けた。
そして、この番組を通して知り合った恩人の
陳さんのおかげで、言葉を真剣に学び、
留学が出来、今の職業にもつくことが出来た。(それは他の留学生のおかげでもあるし、その中の一人は自分の送別会にわざわざ来てくれた。)
だから今尚更そう思うのだ。
(でも、DJを引き受けてくれた彼には感謝しているけど。ありがと、熊谷君。)
この曲を聴くと、当時大変だった頃を思い出す。
色々悩んだことや、当時真剣に憧れていた恩人のこと、そしてこれからやろうとしていることも・・・
さ、明日も授業だ。
放送部の校内放送の番組のテーマソングだった。
当時、放送部制作の番組といったら、音楽番組しかなかったのだ。
自分の大学は言わずと知れた松前人民記念大学
いや、倒壊大学で、留学生もやたらに多い。
じゃあ、「留学生にインタビューでもして友達も作ろう。で、他の人と差別化を図ろう。」と思い、海外研究会の先輩に相談して留学生を紹介していただいた。
その時にお会いした人の一人が、自分の人生を買えた恩人陳さんだった。
当時インタビューなんかした事の無くがちがちだった自分に陳さんを始め皆さん暖かく接してくださった。
そして、その放送がスタート。
今でも覚えているが番組名が「トワイライトエクスプレス」そう、大阪から札幌まで走っているあの
列車の名前である。
だるそうなタイトルコールからこの曲が流れて
そして、オープニングトーク。
最初はもうボロボロだったが、何とか乗り切った。
2回目の陳さんのインタビューの収録分。番組の進行などは進歩したが、やはりトークが間延びする。元々自分にはセンスが無かったが、それに気づくのに2年もかかった。
無論、色々な人に助けてもらった(?)が
かなりミスに関してはぼろくそにも言われた。(ある程度納得する面もあるが、今思うとちょっと腹が
たつ。同級生に影で「あいつは口だけだ」と言われた時、本気で腹が立ったが、先輩に親友がいたのでその手前我慢した。)
2年になってもこの番組は続いた。当時自分は
所属サークルの上部組織に一人で出向しており、尚且つ生活のためのバイト、自宅生、教職過程履修と忙しかったが、番組は作りつづけた。
そして大学の3年。今度は生放送で、そして
自分は裏方に回って製作した。今度は大成功した。
ただ一つ残念だったのが、DJをお願いした人が
「ディレクターは番組が終わるのが残念そうですが、自分はそうは思いません」と放送の時に言ったことがとても残念だった。
(本人は冗談だといったが、それにしても冗談で
片付けて欲しくなかった)
確かに自分は色々と迷惑をかけた。(勿論、他の人も結構アレだったこともあるが、全体的に見て
自分の方が悪いのだろう。)
でも、自宅から往復3時間かけて、授業もそれなりに頑張って、サークル活動も出来る限り続けた。
そして、この番組を通して知り合った恩人の
陳さんのおかげで、言葉を真剣に学び、
留学が出来、今の職業にもつくことが出来た。(それは他の留学生のおかげでもあるし、その中の一人は自分の送別会にわざわざ来てくれた。)
だから今尚更そう思うのだ。
(でも、DJを引き受けてくれた彼には感謝しているけど。ありがと、熊谷君。)
この曲を聴くと、当時大変だった頃を思い出す。
色々悩んだことや、当時真剣に憧れていた恩人のこと、そしてこれからやろうとしていることも・・・
さ、明日も授業だ。
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